今回のゲストは、元・女子バレーボール全日本代表選手の大林素子さんです。
小川も女子では決して小さくないほうですが、
やっぱり長身!それを活かしたサウスポーでの攻撃は、まさにモトコスペシャル♪ 全世界の選手に恐れられていた凄いかた。
でも、実際には、とても乙女チック。女性らしい感性で、今は、レポーターやタレントとして大活躍されてますね。
今年の3月には ご自身が座長を務めての演劇の再々演が行われます。
私は、過去2回観に行き、いずれも号泣。
「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんという実在の女性を演じます。紛れもない現実だったということに震撼とさせられ、トメさんの生き方に感動するのです。
ぜひ、観に行ってくださいね〜
MOTHERマザー〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜【再々演】
鳥濱トメ役
新国立劇場小劇場 2011年3月17日〜21日
栃木県矢板市文化会館 大ホール 2011年3月26日
大林素子さんプロフィール:
生年月日: 1967年6月15日
出身地 : 東京都
血液型 : O型
趣味・特技: 舞台鑑賞(特に宝塚)、タップダンス、レース観戦(車・バイク)
資格 : 国内A級ライセンス、MFJ PIT CREW LICENCE、小型船舶4級免許、華道池坊奥伝免許、けんだま8級
八王子実践高等学校時代、
第15回(1984年)春の高校バレー3位、
第16回(1985年)準優勝。
1985年、高校在学中に全日本代表初選出。
同年のワールドカップで国際大会デビューを果たす。
1986年、実業団トップチーム日立に入団。
1989年ワールドカップで、膝の半月板損傷、右足首の靭帯断裂という大怪我をしたが、その後、全日本女子チームの攻撃の要として活躍。
1994年10月、世界選手権に主将として出場。
1995年1月、日本人初のプロバレーボール選手としてイタリア・セリエAのアンコーナと契約し5か月にわたってプレー、同年5月に帰国。 帰国後は東洋紡オーキスとプロ契約。
1996年アトランタ五輪に出場。
その後、Vリーグで1シーズンプレー
1997年3月現役引退。
現在はスポーツキャスター・タレント等で幅広く活躍、
バレーボール中継解説やVAS(バレーボールアドバイザリースタッフ)として後進の指導に加え、日本バレーボール協会テクニカル委員、日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー、日本スポーツ少年団委員などの要職に就いている。
モータースポーツとの関わりも深く、カーレースの国内A級ライセンス、MFJ PITCREW LICENCEを取得しているほか、2001年には「大林アタッカーズ」の名称で女性ばかりのレーシングチームを結成して鈴鹿1000kmに参戦、同チームの監督を務めた(2003年にはチーム名を「レディスD」と改め再挑戦している)。またフジテレビのF1グランプリ中継のピットレポーターを務めたこともあり(1996年)、スカパー!のフジテレビワンツーネクストでは『モータースポーツパラダイス』(2001年 - 2005年)→『F1GPニュース』(2005年 - 現在)の司会を務めている。
2008年4月より、神戸親和女子大学発達教育学部に新設されたジュニアスポーツ教育学科客員教授に就任
大林素子さんオフィシャル・ブログ
http://ameblo.jp/motoko-oobayashi/
小川も女子では決して小さくないほうですが、
やっぱり長身!それを活かしたサウスポーでの攻撃は、まさにモトコスペシャル♪ 全世界の選手に恐れられていた凄いかた。
でも、実際には、とても乙女チック。女性らしい感性で、今は、レポーターやタレントとして大活躍されてますね。
今年の3月には ご自身が座長を務めての演劇の再々演が行われます。
私は、過去2回観に行き、いずれも号泣。
「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんという実在の女性を演じます。紛れもない現実だったということに震撼とさせられ、トメさんの生き方に感動するのです。
ぜひ、観に行ってくださいね〜
MOTHERマザー〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜【再々演】
鳥濱トメ役
新国立劇場小劇場 2011年3月17日〜21日
栃木県矢板市文化会館 大ホール 2011年3月26日
大林素子さんプロフィール:
生年月日: 1967年6月15日
出身地 : 東京都
血液型 : O型
趣味・特技: 舞台鑑賞(特に宝塚)、タップダンス、レース観戦(車・バイク)
資格 : 国内A級ライセンス、MFJ PIT CREW LICENCE、小型船舶4級免許、華道池坊奥伝免許、けんだま8級
八王子実践高等学校時代、
第15回(1984年)春の高校バレー3位、
第16回(1985年)準優勝。
1985年、高校在学中に全日本代表初選出。
同年のワールドカップで国際大会デビューを果たす。
1986年、実業団トップチーム日立に入団。
1989年ワールドカップで、膝の半月板損傷、右足首の靭帯断裂という大怪我をしたが、その後、全日本女子チームの攻撃の要として活躍。
1994年10月、世界選手権に主将として出場。
1995年1月、日本人初のプロバレーボール選手としてイタリア・セリエAのアンコーナと契約し5か月にわたってプレー、同年5月に帰国。 帰国後は東洋紡オーキスとプロ契約。
1996年アトランタ五輪に出場。
その後、Vリーグで1シーズンプレー
1997年3月現役引退。
現在はスポーツキャスター・タレント等で幅広く活躍、
バレーボール中継解説やVAS(バレーボールアドバイザリースタッフ)として後進の指導に加え、日本バレーボール協会テクニカル委員、日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー、日本スポーツ少年団委員などの要職に就いている。
モータースポーツとの関わりも深く、カーレースの国内A級ライセンス、MFJ PITCREW LICENCEを取得しているほか、2001年には「大林アタッカーズ」の名称で女性ばかりのレーシングチームを結成して鈴鹿1000kmに参戦、同チームの監督を務めた(2003年にはチーム名を「レディスD」と改め再挑戦している)。またフジテレビのF1グランプリ中継のピットレポーターを務めたこともあり(1996年)、スカパー!のフジテレビワンツーネクストでは『モータースポーツパラダイス』(2001年 - 2005年)→『F1GPニュース』(2005年 - 現在)の司会を務めている。
2008年4月より、神戸親和女子大学発達教育学部に新設されたジュニアスポーツ教育学科客員教授に就任
大林素子さんオフィシャル・ブログ
http://ameblo.jp/motoko-oobayashi/